どうしてお遍路と呼ばれるようになったか -2
「梁塵秘抄(1169年)」の中でも海岸沿いを修行する人々が書かれいますが、室戸岬を金剛浄土の入り口と書かれていることから、このころまでに仏道による修行が根づいていたのではないかと考えられています。
また、この記載の中では、"海岸沿いの道や土地"のことを「辺路」(へじ)と称するように変化しています。
そして、仏教が広まりつつあった時期に、仏教の海の彼方にあるとされていた「補陀落浄土(観音菩薩が住まわれる浄土)」と「根の国」とが重なり、仏教の広まりと共に、
「根の国」信仰と「補陀落浄土」信仰は混同していったのではないか
ということです。
その後、補陀落浄土に至るための修行は、弘法大師信仰が四国に広まり、弘法大師を思い四国を巡る現在のような遍路に変わってゆくこととなります。
その際、当初、海辺の道や土地を表す言葉「辺地」・「辺路」は、「偏禮」「邊路」と変わりその後「遍路」と変化していきました。
また、その読みも中世以降、「へち」・「へじ」から「へんろ」と変化していきます。
現代では「遍路」の一語で"四国での巡礼すること"を指す言葉として使われていますが、この原形は昔から四国にあった、
海辺を修行する"土地やその道"を指す「辺地」・「辺路」が語源ではないか
と考えられているそうです。
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