お遍路さんに深い関係の空海について

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お遍路さんとはその四国八十八カ所とは、空海ゆかりの札所や霊場を巡る人たちということは理解いただけたと思います。

では、お大師さんの名で親しまれ、素朴な庶民信仰の中に今も生きる人間、空海について詳しく説明します。

おそらく日本史などで勉強したり、歴史の好きな方はよく出てくる名前だとは思いますが、この機会にもう一度しっかりと整理してくださいね。

空海は774年、讃岐国多度郡屏風が浦(現:香川県多度津町)に生まれました。

誕生日を6月15日としていますが、これは真言宗の伝承で、空海は中国密教の不空三蔵の生まれ変わりであると考えられていて、不空の入滅日が6月15日であることからこの日とされています。 
ですから正確な日時については不明とのことです。

父は郡司・佐伯直田公(さえきのあたいたぎみ)、母は阿刀大足の娘(または妹)
俗名は佐伯真魚(さえきのまお、またはまな)といいます。
また弟に、のちの僧正真雅がいます。

今では一般的になった「弘法大師」の名は、弟子達の熱心な奏請により、921年に醍醐天皇から贈られたものです。

幼い頃から秀才の誉れ高く貴者(とおともの)と言われ、792年に18歳で官吏になるため京の大学寮に入り、明経道を専攻しますが、翌年の793年、大学での勉強に物足りなさを感じ、山林に入り修行を始めました。

そしてその修行中、口に明星が飛び込んできて悟りを開いたといわれています。
悟りを開くまで空海が目にしていたのは空と海だけであったため、空海と名乗ったと伝わっています。

仏教の修行を続ける中、「聾瞽指帰」(三教指帰)を書き、儒教、道教、仏教の中で仏教が最高の教えであることを宣言して仏道に入ります。
これ以後、消息不明となります。

留学僧として空海は804年に最澄と共に遣唐船で入唐しますが、2年後多数の経典、曼荼羅、密教法具、阿闍梨付属物などと一緒に、日本へ帰国します。

817年、修行の道場として高野山を開山します。

827年淳和帝の時大僧都に任じられます。
828年綜芸種智院を創立し、830年主著である「秘密曼荼羅十住新論」を著し、生きながらにして仏となる(即身成仏)の理論を完成させます。

そして835年3月21日寅の刻、「入定後56億年後に弥勒菩薩の御前にはべり現世に現れ、世を救うだろう」と言い残して入定します。


いかがでしたでしょうか?
空海を知ることにより、お遍路についての興味も、もっと深くなったのではありませんか?

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